私が摂食障害を克服するまで 中学生編③ 摂食障害の診断を受けて

摂食障害克服の道のり。 こんにちわ。

今回は、中学編最終章です。

私の場合は、高校受験という「勉強」のストレスが加わった事で、中学三年生の8月頃。1か月に体重が3~5kg減るという状態になり、この時期のこの体重の減り方はおかしいということで、病院に行くことになります。

詳しい内容はコチラから。

私が摂食障害を克服するまで。中学生編①

私が摂食障害を克服するまで。中学生編②

しかし、「摂食障害」という診断を受けても、自分が摂食障害という全く自覚なく時間が過ぎていきます。

摂食障害という診断を受けても、こころの中はぐちゃぐちゃで、頭の中には常に、

「もっと、痩せなきゃ」「食べたら太る」「食べることは、罪だ」「もっと、勉強しなきゃ」「もっと、運動して痩せなきゃ」「親は私を愛してくれていない」「親は私には無関心なんだ」・・・・など、もやもや不安や焦りが付きまとう日々。

今思えば、かなり脅迫的に自分を自分で追い詰めていました。当時は、自分で自分を追い詰めているという意識は全くありません。

通院するようになって、一番変化したことは、家族や両親、病院の先生や看護師さんなどのごく一部の人に自分の気持ちや考えや感情を表に出すようになった事。

それ故に、脅迫的な想いは両親とぶつかり、ご飯を食べるか食べないかで大ケンカをしたり、家を飛び出したり、夜中に近所を歩きまわったり、泣き叫んだり、たくさん食べてしなったときは、お腹をたたきてわめいたり、休めと言われても勉強しつづけたり・・・

ありとあらゆる迷惑を両親や家族にかけまくる日々。でも、衝動的な行動や、親を傷つけるようなことばを止めることはできませんでした。

だって、当時の私には、その脅迫的な自分の考えが、絶対に正しかったんですから。

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そんな荒れ狂うような日々を過ごしながら、夏から冬に変わりはじめ、MAXに落ちた当時の私の体重は28㎏。あと一歩のところで入院を免れながらの生活。

当時の写真をみると骸骨のようで、骨と皮しかない状態でした。それでも脅迫的に痩せたい気持ちや親に対する想い、自分を追い詰める考え方はなかなか変化しませんでした。

その中で高校受験も無事に終え、推薦入学で、高校受験を無事に終えます。その時は、志望した高校ではありませんでしたが、合格通知をもらった時は、嬉しくて、涙が出たのを覚えています。その頃から体重は減らなくなり、本当に少しずつ少しずつ落ち着いて生活を送れる日が増えていったのです。

私がそんな状態になりながらも、中学校にもほぼ休みなく通い、高校受験をし、無事に(?)高校生へとなる事ができたのはなぜか?

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当時、私がこの時から通院を終えるまでお世話になることにな病院の先生の一言とそこに対する直観に素直に従ったからだと思っています。

とにかくこのもやもや焦って不安になって、自分を消し去りたい衝動をなくすために、無意識手に「何か」すがりたかったのです。

そのタイミングで、主治医の先生に「大丈夫、絶対良くなりますよ。」と手を握って、目を見て言ってくれた時、私は、今までにはないものを感じました。

この先生なら、「色々、話しても良い」「何かが変わるかもしれない」・・・・と。

それは、自分が聞いて欲しかった当時ののこころの叫びを受け入れてくれそうな感覚。

「もう、こころが壊れそうでどうして良いか分からない。助けて!!!!」って、こころの奥底で叫んでいた声です。

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この出会いがなければ、摂食障害を克服し、今の自分になることはなかった出会いの内の一つだったと思います。

あなたは、今、どんな人と出会って、どんな自分になりたいと願っていますか?世の中には、様々な治療法が溢れていると思いますが、それを作っているのはすべて「人」です。

あなたは目の前の人との出会いをどう捉えていますか?その捉え方一つで(ここも話し始めれば、かなり深い話ですが・・・)人生は劇的に変化していきます。

続きはこちら→私が摂食障害を克服するまで 高校生編①

 

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