色々、「こころ」が乱れた状態ではあるも、
「親に迷惑をかけない・認められる子になろう。」と、奮闘が始まります。
その中で大学受験でチャレンジしようと選んだのが、「理学療法士」という医療系の国家資格がとれる学校。
選んだ理由は簡単。
「世間的にも両親的にも認めてもらえそうな仕事で、偏差値も何とか届きそうな気がするから」が9割。
「自分の摂食障害という病気が自分は何だか分からないけど、良くなってきているから、同じように苦しんでいる人の役に立てそうな仕事の資格が取れるから」が1割。
そこから、勉強し出しますが、私立のエスカレーター式に大学へ進学する人が大半の高校に通っていた私は、「受験」の「じ」の字もわからない状態でスタート。
それなりに必死で勉強していたとは思いますが、学校の期末テストとは、訳が違いました。完全に舐めてました。
敢え無く、撃沈。。。。
それでも、そんなにショックに思う事もなく、受験失敗後、他にもたくさん道はあったと思うのですが、頑なに
「理学療法士になる為の学校に行く!」と誰がなんと言おうと譲らず、1年浪人生活をする事を結構、簡単に決め、また、結局、両親を振り回します。
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その後が、さぁ、大変です。
予備校探しに両親と奔走し、始め、自宅から通える、地元では大きな予備校にしようとするのですが、通院していた病院の主治医から、
先生が「それはダメだ、この子の将来を潰す気か!!実家から出て、食事が出る寮みたいな所に入れて、東京に出て、1人暮らしをさせない。」と。
私と母「・・・・・・・・え?」と、固まります。
と言うことで、摂食障害の治療の一貫で、親元を離れ、寮に入りまさかの1人暮らしをしながら、浪人する事がここで決定。。。
その後、ドタバタで、東京にある某予備校に決め、寮を決め、摂食障害を抱えたまま、4月から、1人での新生活を開始します。
ちなみに、無事に高校は卒業しました。
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私の記憶は曖昧ですが、この時、先生はかなり強い口調で、実家を出る事を私に進めていたように思います。
後から知ったのですが、親元を離れる事で、お互いの自立心(俗にいう親離れ、子離れです)を育てる為だったみたいです。
あくまで一般論ですが、摂食障害を発症する場合、親子の「関係性」が関係していると言われています。
当時の私は親に依存しているとかいないとか、良く分かりませんでしたが、先生の判断としては、一回、この親子は離れて暮らす事が必要だろうと考えていたのだと思います。
こうやって、治療として、ある種、強制的に親元を離れた事は、後々の私にとって、財産になっていきます。
※治療法には個人差がありますので、私のは、あくまで一例です。
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私の「こころ」としては、ちょっと、ワクワクしていたように思います。
自分を誰も知らない場所で暮らす。
中学生や高校生になる時とは、少し違う感覚。
不安や恐怖もあるけど、ちょっとした楽しみもある。そんな感じ。
この頃には、少し「楽しみ」を感じられる「こころ」が育ってきていたのだと思います。
それまでは、「楽しむ」という感覚は、本当になかったですから。
次回、浪人生活へと続くきます。
続きはこちら→私が摂食障害を克服するまで 〜浪人生活編〜
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