からだにとっての呼吸と食事。こころにとっての呼吸と食事。
こんにちわ。
前々から、
不思議というか、
呼吸したり、食べ物食べて、栄養とって、からだに必要がないもの、
余分なものって、
出す機能が付いている。
息も吸ったら吐く。
ご飯も食べたら、トイレに行くし、汗もかく。
これ、ずっと、
出さずに、
我慢出来る人っています??笑
いたら、会ってみたい。。
な・の・に!!!!
なんで、
でも、こころの話になると、
みんな、
平気で、吐き出さないし、トイレもいかない。
そして、その事に気づいていない。
みんな、ネガティブな事を言わない。
嫌な事があっても、
ただただ、
酸素を吸って、二酸化炭素を出すように、
吐き出せばいい。
でも、それができないから、
また、どんどん、
自分の中で発酵して、
こころの中ではめっちゃ、毒ずいているのに、
表面的には、良い人の振り。笑
それって、
めちゃめちゃ、不健康だと思いませんか?
ネガティブっぽいことを言ったら、人に嫌われちゃうんじゃないかという罠
これを言ったら、悪いとか、
あの人が傷つくかもとか。
相手を思っていて、
相手に気を使った良い人そうに一見見えるかもしれないけど、
言ってないけど、
思ってたら、
それって、
そんなに大差ないと私は思っています。
言わなかったら、
こころの中で相手を批判していていいんですかね?
ばれないから?
少なくとも、相手が傷つくようなことを考えているのは、
あなた自身です。
なんだか、すごく傲慢・・・(T . T)
結局、言えない人って、
相手を思っているようで、
自分が嫌われるのが怖い。
良い人でいたい。
そんな自分の欲求があるから言えないだけで、
こころの中で、
いつもいつも毒ずいている。
すべてに善悪があって、
その範囲でししか、
物事を見れないから、
とっても、
苦しいんです。
決して、自分の中のネガティブなものも、
使い方を間違えなければ、
「悪」ではないし、
見方をかえたら、
もしかしたら、「悪」ですら、ないかもしれないという
可能性を微塵も見ようともしない。
逆もしかりで、
自分が「善」と思っていても、
相手からみたら、ただの「良かれ」だってことや、
「悪」だってとられる人さえいることは、
人間関係の中では良くあることだと思うのです。
本当に相手のこと、自分のことを思うのであれば、
この罠からまず抜けることが先決です。
こころのリズムを整えるには
自然に、
息を吸って吐くように、
ご飯を食べたら、栄養を取り入れて、余分なものは、出すように。
からだも、取り入れる力と出す力によって、健康を維持しています。
こころも一緒。
なにかこころを動かさるものを取り入れたら、
自分の中に取り入れるものと、出すもの。
これが、起こらないとそもそも変です。
最近、私が思うのは、
人と人とが出会って、
コミュニケーションする中で、
新しい発想が生まれたり、気づきがきたり、これって、例えるならば、こころの栄養素だと思うのです。
そして、自分にとって苦しいことがあった時、
吐き出してすっきりすること、これは、出す力でもあると思います。
でも、多くの人は、
どちらも出来ていないような気がします。
こころのリズムを整えるには、
気づく力(取り入れる力)と善悪なくしゃべる力(出す力)。
そして、それを一緒に作ってくれる人間関係が重要ではないかと思うのです。
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